合法的に有料の文書を無料で公開する方法がある件について

旅行中に考えてたことその2。タイトルのままなのだけれど、合法的に全文掲載を行う方法があることに気づいた。それは複数の記事に分けて文章を引用すること。すなわち、この記事では参照元記事の1行目と2行目、あの記事では参照元記事の3行目と4行目という風に、記事ごとに別々の個所を引用し、合わせてすべての個所を引用するのだ。この方法ならば、それぞれの記事が正式な引用の範囲内である限り合法じゃないですか。

ここで「正式な引用の範囲内」とは何かをしらべてみると、

著作権法において正当な「引用」と認められるには、公正な慣行に従う必要がある。最高裁判所昭和55年3月28日判決[1]によると「引用とは、紹介、参照、諭評その他の目的で著作物中に他人の著作物の原則として一部を採録すること」である。

一般に、適切な「引用」と認められるためには、

1. 文章の中で著作物を引用する必然性があること
2. 質的にも量的にも、引用先が「主」、引用部分が「従」の関係にあること。引用を独立してそれだけの作品として使用することはできない。
3. 本文と引用部分が明らかに区別できること。例『段落を変える』『かぎかっこを使用する』
4. 引用元が公表された著作物であること
5. 出所を明示すること(著作権法第48条)

が必要とされる。

引用 - Wikipedia

とある。これを見ればすぐさまわかるとおり、参照元の記事の引用元が公表さえされていればよく、参照元記事が有料であるか無料であるかは正式な引用には全く関係のない事項です。だから引用がある大量の対価を得ない記事が増えれば、それだけ有料の記事というのは脅かされることになります。

有料記事を無料に落とし込む方法があるというのは非常に気持ち悪い。この引用の部分において著作権法が整合性を持つためには、無料の記事の存在しないことが条件となります。そうなると法が成立した当時の無償で公開される記事というのは存在しなかったんでしょうね。あるいは無償で公開される記事と、有料で公開される記事の住み分けができていたか。フリーペーパーなんつって無料の雑誌なんかも存在する現在にとっては、実情に合わない法律となりつつあるようです。

総表現時代では無料で提供される文書を差し止めることは出来ませんし、あってはなりません。そうすると考えられる方策は以下の3つになるでしょう。

  1. 引用箇所を指定する
  2. 引用を認めない
  3. あらゆる記事がすべて無料で提供されるようにする。

「引用箇所を指定する」「引用を認めない」は共に法の改正を伴います。「あらゆる記事がすべて無料で提供されるようにする」これが実現するためには本や雑誌なども全て無料にならなければなりません。どの方策も実現が非常に難しいですし、わざわざそんな世の中になる必要があるのかというと、それも怪しい。

だから、ここまで読んできた方々には悪いですが、これを憂う必要があるのかないのか良く分からないところです。